碎叶城(阿克贝希姆遗址)

日本考古队在碎叶城看到了什么

摘要:    帝京大学文化財研究所文化財研究所 研究報告 第19集(2020年)中12篇论文都是有关碎叶城(阿克贝希姆)的,日本关于碎叶城的资料远不止这些,惭愧鄙号号称“碎叶川”,却不知原来这几年日本人在碎叶城考古。     碎叶镇的杜怀宝从姓氏来看,很可能就是京兆杜氏,之前在一些论著中看到碎叶镇的杜怀宝碑,奈何都不附图,心甚怏怏,(完全无法 ...


   帝京大学文化財研究所文化財研究所 研究報告 第19集(2020年)中12篇论文都是有关碎叶城(阿克贝希姆)的,日本关于碎叶城的资料远不止这些,惭愧鄙号号称“碎叶川”,却不知原来这几年日本人在碎叶城考古。

  

   碎叶镇的杜怀宝从姓氏来看,很可能就是京兆杜氏,之前在一些论著中看到碎叶镇的杜怀宝碑,奈何都不附图,心甚怏怏,(完全无法接受那些长篇大论却舍不得上一张图的文章)是故看到这些资料,难免激动。

  


  

  

  

  

  

  

  帝京大学シルクロード学術調査団 第2次調査 vol.4

  杜懐寳碑調査

  昨年の事前調査でも拓本をとってきた杜懐宝碑(スラヴ大学所蔵)。

  今回は、福井淳哉先生にその碑文に刻まれた文字を観察していただきました。

  「中国文献に登場する砕葉城の位置は長く確定していなかったが、ある一つの石碑がきっかけとなり、キルギス共和国にあるアク・ベシム遺跡が砕葉(素葉水)城、つまりスイヤブであるということが明らかとなった。その石碑は、現在キルギス・スラヴ大学の附属博物館に所蔵・展示されている。この「杜懐寶碑(とかいほうひ)」と名付けられた石碑は、682年に唐領の安西都護府の副都護であった杜懐寶が亡き母のために建てた石造の供養塔の一部であると考えられている。やや磨滅しているものの、その書風は一見して初唐の三大家の一人である褚遂良(ちょすいりょう、596~658年)の書風を彷彿させる。」〜山梨日日新聞掲載『アク・ベシムの目覚め《3》』(福井先生原稿)より抜粋〜

  杜懐宝碑拓本

上写真 右から2行目に「砕葉鎮」、

4行目に「杜懐(寳)の文字が判読できる

杜懐宝碑拓本

クラスナヤ・レーチカ石碑調査風景と作成した3Dモデル

本調査は、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究B(海外学術調査)(課題番号15H05166)研究代表者 山内和也「中央アジア、シルクロード拠点都市と地域社会の発展過程に関する考古学的研究」と連携して実施している。

イシク・クル湖からの発掘品と並んで目を引くのはアク・べシム遺跡や、その周辺からの発掘品。
その中でも見落とせないのが下の石碑。小さな地味な石碑ながら、良く見ると漢字が刻まれていて「砕葉鎮」の文字があります。この石碑が発見されたことで、アク・べシム遺跡が玄奘三蔵が訪れた「素葉城」で後に「砕葉鎮」が置かれた場所ということが確定されました。

アク・べシム遺跡の近くにはクラースナヤ・レーチカ遺跡という遺跡もあります。
巨大な涅槃仏が見つかったことで有名な遺跡ですが、綺麗な三尊仏がありました。


引用:


http://isekineko.jp/kyrgys-bishukek.html


帝京大学

https://www.teikyo-u.ac.jp/bunkazai/2016/09/858


https://www.teikyo-u.ac.jp/bunkazai/publication/publication1


早大宝库

https://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?

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